□ 映画監督

□ 神田裕司映画演技実験室代表

□ 葛飾区出身・在住

□ 既婚

□ 下町七区コミュニティCEO

□ 葛飾区・江東区の代表

□ 基本情報は下記です。


自己紹介

生年月日:1965(昭和40)年3月15日
出身地:東京都葛飾区青戸
学歴:小中高大葛飾区立青戸小学校、葛飾区立青戸中学校、東京都立墨田川高等学校、成城大学文芸学部芸術学科
血液型:B型RH+
肩書き(複数):映画監督映画プロデューサー漫画原作者、舞台脚本演出家、TV番組構成作家、MC一般社団法人タレント協会常任理事、神田裕司映画演技実験室代表、Facebook下町7区コミュニティグループCEO、東京商工会御所評議員
 

神田ヒストリー

「生まれた家庭」東京下町葛飾区青戸の小さな八百屋、神田達夫(新潟県上越市高田の名家の三男に生まれる)、靖子(東京葛飾出身の理容師)の営む神田青果店の長男として誕生。3歳下の秀子と6歳下の悦子の2人の妹との5人家族。店の隣りが慈恵医大青戸病院だったのでお見舞いで遣う果物の取り扱いの方が多い果物店の性格の強いお店で、低学年の頃からお店に出て看板息子として手伝う。
自身が持つ色彩感覚は、このお店に飾られていた数々の季節の果物の色と匂いに囲まれて育った経験が大いに影響した。
1999年12月12日、34歳の時、7歳下の山野容子27歳(三菱銀行勤務を経て、神田と同じホテルで働いていた時に知り合う)と5年の交際期間を経て結婚し、その5年後、2004年の39歳の時に長女実来乃(みらの)、40歳の時に長男怜音(りおん)が誕生し、4人家族となる。長女の誕生を機に同じ葛飾区内の東四つ木に居を構える。自宅3階と2階の部屋の窓からは、美しい葛飾ハープ橋、遠くには隅田川の花火も2会場とも見える贅沢な環境だった。
因みに、
長女の名前は、イタリアのミラノ映画祭に呼ばれた時に、まだ子どもも居ないのに、現地で何故か子供服ばかりに目がいっていたことが多く、帰国時に妻から子供が出来たと告げられたことが由来。また、本来「らりるれろ」の音の響きが好きでその音の一字を入れ、字画を選んで実来乃(みらの)と命名した。
長男の時は、フランスのカンヌ映画祭に呼ばれた年で、長女と同じく職業の『映画』と『その年に経験した海外の都市』に由来した名前にしようと考えたところ、映画の父と言われたルミエール兄弟が生まれ育ったフランス第3の都市がリヨンだったことと、「らりるれろ」が入ること、獅子座生まれだったのでヨーロッパの王様の名前にも多いライオンという意味、もちろん字画を慎重に選んで怜音(りおん)と命名。
2人とも名前の由来どおり外国語に長け、中高6年制の国立東京大学教育学部附属中等学校に通った。

「映像に熱中した起点」小学生時代から美術と音楽の成績が良く、担当の先生方から「貴方は将来芸術の道に進みなさい」と何度か言われたことがあり、芸術の王様は映画だと思ったことが映画監督を志すきっかけとなった。

「学生時代」成績は常にクラスで一番か二番で、学級委員を毎年務めるような小中校時代。小学生時代は少年野球、中学時代はテニス部で1年生から唯一のレギュラーとして活躍。同時に、TVドラマを観ながら演技の仕方などについて演出しているようなところがある子供だった。
映画自体は観ることが好きではなかったが、その原因が同年代のスターの不在だと思い、この段階から世界に通用するような俳優を育てたいと強く思うようになる。その為には、プロの現場に入って実際の作品作りやレッスンの方法を知りたいと思い、小学6年生時に子役劇団の東京宝映に入り、運の良いことにTVドラマやCM、ミュージカル等多数の出演経験を積むこととなる。
レッスン初日にロッテ風船ガムのオーディションを統括マネージャーから勧められ、そのまま合格しデビュー。その後、和田アキ子と共演したキリンオレンジエードなど数々のCM、「がんばれレッドビッキーズ」などの数々の子供番組のゲスト主演、TBSの看板番組水曜劇場のレギュラー、世界の影絵の第一人者である藤城清治氏が日本での上演権を獲得した大型ミュージカル『秘密の花園』(バーネット作、藤城清治演出、いずみたく音楽)の主演コリン等々を経験する。出演者としての参加だったが、演出や制作、美術などを積極的に学んだ。中学2年になり、声変りと共に高いソプラノが出なくなり子役活動は止めるが、思いの外、出演者の視点から演技や演出を十分に学べた小中学生時代となった。
 「映画熱中期」高校時代よりバイトのお金で8ミリ映画を撮り出す。高校2年時に演出した「レモン色の恋」がぴあフィルムフェスティバル(P F F)で大林宣彦監督の選出で最年少入選。翌3年生の時に監督した「Fade in(フェードイン)」が評論家日比野裕子さんの選出で2年連続最年少入選を果たす。

それらの作品に起用した中村佐恵美(ハリウッドで活躍する日本人俳優の先駆けの一人。『ナチュラルボーンキラーズ』『トゥルーマン・ショー』『ヒマラヤ杉に降る雪』)、渡辺広(『ラストサムライ』『硫黄島からの手紙』)、内田夕夜(俳優座主演多数、ディカプリオや『ラ・ラ・ランド』主演のライアン・ゴズリング等の吹き替え)等が、後に世に出るきっかけを作った。
P F F入選をきっかけに現役高校生のまま、今度はスタッフとしてまた出演者として数々のプロの作品に参加することになった。
20歳の時、劇場映画『星空の向こうの国』(松竹、文芸坐配給、ヒロインは有森也実。監督:小中和哉。プロデューサー:一瀬隆重。)で主演の昭雄役を演じる。他にも数々の映像作品で、森尾由美、田中美奈子、酒井法子の相手役等も演じた。大学時代には学外で小劇団「神関組」を演出家として主宰し、池袋の文芸坐ル・ピリエやシアターグリーンを中心に精力的にオリジナル作品を発表した。
「映画熟練期」家庭の事情などもあり、学校を出てからは、政治家の秘書、イベントのディレクター、ホテル支配人、商社勤務を経て、会社員のまま久しぶりに友人たちと自主製作し、自身プロデューサーと主演を兼務した短編映画『プント』が夕張国際ファンタスティック映画祭で入選したことと、務めていた商社が倒産したことがきっかけとなり、
1997年8月1日、32歳の時に小さな映像制作会社株式会社小椋事務所に、営業アルバイトとして参加することになる。
程なく、藤木直人デビュー主演のVシネマ『F・I・S・H』(関顕嗣監督初監督作品。ポニーキャニオン)を自ら受注出来たことでアシスタントプロデューサーとしてデビューし、小椋事務所にプロデューサー職として正式に採用される。
その後、博報堂の第一回映画作品、伊藤英明デビュー主演の「BLISTER!」(博報堂、TV東京、ブエナビスタ)を制作受注しヒットさせたことで流れに乗り、企画を立て資金を集め監督を初めとするスタッフィングとキャスティング決定迄を主な業務とする企画プロデューサーとして本格的に活動し始める。

『BLISTER!』(2000年公開。須賀大観監督。伊藤英明主演)

『けものがれ、俺等の猿と』(2001年公開。須永秀明監督。町田康原作。永瀬正敏主演。小松方正。降谷建志。車だん吉。鳥肌実。 * 神田は、本編のラストで、立川志らくと口論している役で出演している)

『ハードラックヒーロー』(2003年公開。SABU監督。V6主演)

『ピストルオペラ』(2001年公開。鈴木清順監督。江角マキコ主演。山口小夜子。樹木希林。平幹二朗。沢田研二。加藤治子。永瀬正敏。韓英恵。 * 神田も拳銃の声役で出演)

『幸福の鐘』(2002年公開。SABU監督。寺島進初主演。西田尚美。篠原涼子。益岡徹。塩見三省。鈴木清順)

『下妻物語』(2004年公開。中島哲也監督。嶽本野ばら原作。深田恭子主演。土屋アンナ。宮迫博之。篠原涼子。阿部サダヲ。荒川良々。* 神田もキャスター役、ナレーション役で出演)

『タナカヒロシのすべて』 (2005年公開。田中誠監督。鳥肌実主演。加賀まりこ。上田耕一。ユンソナ。高橋克己。伊武雅人)

『オペレッタ狸御殿』(2005年公開。鈴木清順監督。チャン・ツィイー主演。オダギリジョー。薬師丸ひろ子。由紀さおり。美空ひばり(デジタル出演)。平幹二朗。山本太郎。高橋元太郎)

『姑獲鳥の夏』(2005年公開。実相寺昭雄監督。京極夏彦原作。堤真一主演。永瀬正敏。原田知世。阿部寛。田中麗奈。三谷昇。いしだあゆみ。すまけい。清水美沙。篠原涼子。宮迫博之)

『蟲師』(2006年公開。大友克洋監督。オダギリジョー主演。江角マキコ。大森南朋。蒼井優。李麗仙。りりィ)

『魍魎の匣』(2007年公開。原田眞人監督。京極夏彦原作。堤真一主演。黒木瞳。椎名桔平。阿部寛。宮迫博之。田中麗奈。荒川良々。笹野高史。清水美沙。篠原涼子)

等々、事業費10億円を超える大きなプロジェントも含め数々の話題の映画に企画/プロデュース等の立場で中心的に携わり、世界3大映画祭のカンヌ、ヴェネチアでは正式にレッドカーぺットを歩き、ベルリンではNETPAC(アジア最高賞)を得ている。

「運命的な人との出会い」

・映画監督やプロデューサーとしても活躍している青戸中学の同級生であり親友でもあった関顕嗣氏との出会いが具体的に映画監督を意識する大きなきっかけとなった。関氏の情熱と他人を思いやる心根の素晴らしさや考え方に触れ、その後の生き方そのものにも大いに影響を受けた。
・ 小椋事務所の小椋悟社長との出会いがなければ映画を職業には出来なかったし、これ程の実績と面白い経験は出来なかった。ある種正反対だった性格がバディとして上手くはまり、名前も実績も背景もない2人が映画界の中心で10年に渡って数々の話題作を企画製作出来た姿は「奇跡の会社」として称されることもあった。
「小椋さんを映画業界のスターにする」と宣言して色々と生意気に注文もさせて頂いたが、それを享受して神田を活かせたことが小椋事務所の快進撃につながる要因の一つだった。

・ 鈴木清順監督には自称最後の弟子として10年間お付き合いした。世界中の映画祭で企画された『鈴木清順監督映画特集』に招待され参加した2人の珍道中は数十カ国に渡る。映画製作に対する江戸っ子の粋な考え方を大いに学び影響を受けた。

・ 幼少期に観ていた『怪奇大作戦』『ウルトラセブン』の実相寺昭雄監督、中堀正夫カメラマン、池谷仙吉美術監督のカッコいい映像には無意識の内に大いに影響を受けていた。とりわけ、実相寺昭雄監督には『姑獲鳥の夏』でご一緒して以来、お亡くなりになるまで親子のように接してもらえたことが自慢の一つである(年齢的も実相寺監督は神田の実父と同じ年であり、実相寺監督の娘さんが神田と同じ年であったのもご縁であり、神田が20歳の時、映画『星空の向こうの国』で演じた主演の名前が昭雄だったが、正に実相寺監督のことを尊敬していた小中和哉監督が実相寺監督由来でつけた名前だったという事も不思議な巡り合わせである)

・ つかこうへい氏が第一次つかこうへい事務所を解散する時の「熱海殺人事件」(まだまだ無名に近い頃の風間杜夫さん、平田満さん、加藤健一さん、熊谷真実さん)を観た時の衝動は生涯忘れられない経験となった。後年、つかさんが肺癌を公表される直前にやっと親交ができ、よくお電話を頂き、銀ちゃんそのもののつか劇場を独占して何時間もお電話口で聞けたのは人生の宝の一つだ。やはりつかさんからも親子のように接して頂けたのが夢のようだった。
その縁もあって、北区つかこうへい劇団の入団審査員も2年に渡って担当した。

・ 荒戸源次郎氏は、日本の映画プロデューサーとして最も大きな存在だった。鈴木清順監督を通して懇意になり、小椋事務所を辞めた時に呼び出され、「俺の後はお前がやれ!」とお話をいただけたことは光栄の至りだった。高校時代、エンタメ業界の神だと思っていた3人の巨人、実相寺昭雄、つかこうへい、荒戸源次郎の3人からある意味親子のように接して頂けたことが夢のようだと思っている。

・ 京極夏彦氏の小説京極堂シリーズは当時最も映画化困難で映画化不可能だと言われていた。その第1作目『姑獲鳥の夏』の映画化に挑戦し何度も京極先生にお会いして、結果的にメインプロデューサーとしてご一緒できたことは人生の喜びの一つであり、自信の一つ、映画人生の大きな出来事の一つとなった。企画を思い立って公開初日を迎えるまで5年の時間を費やした。キャスティングも思うように進められ、当時まだ大作映画の主役のなかった堤真一を始め、阿部寛、シリーズのその次の『魍魎の匣』から参加した椎名桔平など神田と同い年のメンバーで固めることができたのも楽しい思い出である。因みに、『姑獲鳥の夏』には、生後6ヶ月の赤ちゃんだった神田の長女神田実来乃が関口雪絵役を演じる篠原涼子抱かれて出演している。

・ 大学生の頃貪るように読んだ世界の多くのクリエイターに影響を与えた大作『AKIRA』の漫画家で世界的に有名な大友克洋さんとは小椋事務所代表の小椋社長との繋がりでプライベートでも何度も楽しくご一緒した。『蟲師』の監督でご一緒することになったが、実はその後にアジアを巻き込んだ事業費20億円を想定した大作「山田長政をモデルとしたオリジナル映画」を企画して進んでいたのだが、『蟲師』の興行結果が思ったほどでなかった事が仇になりしぼんでしまったのが心残りではある。余談だが、神田が大学生の時、家庭教師として教えていた中学生たちと楽しみに読んでいたのが当時ヤングマガジンに不定期連載されたいた『AKIRA』だった。神田の影響を受けた教え子の中学生の1人である大塚氏が大人になって就職したのが京極夏彦先生の事務所。そこでチーフマネージャーとなり映画『姑獲鳥の夏』で神田とは実に20年ぶりの再会となった。そして、さらに、『姑獲鳥の夏』の撮影中に、その大友克洋監督で『蟲師』を取ることが確定し、その話を大塚氏に報告すると大塚氏は感涙した。不思議なご縁とタイミングである。

・ 中島哲也監督とも不思議な縁で、神田が高校2年生の時、ぴあフィルムフェスティバルで入選した時の同期入選者として出会った。神田は大林宣彦監督の推薦で入選し、当時明治大学4年生だった中島哲也監督は大島渚監督の推薦で入選し、それぞれの作品は同じプログラムで記念上映された。後の東宝の社長となる東宝調整部の島谷部長と進めていた神田のオリジナル企画であった大作映画案件が飛んでしまって、その穴を埋めるような形で着地したのがご一緒した『下妻物語』であった。原作取得、資金集め、監督選定、メインキャスティングまで全て神田主導で進めた映画だったが、色々な力関係のせいで神田がプロデューサークレジットされてないのはご愛嬌。オープニングで出てくるキャスター役でチラッと出演もしている。
当時圧倒的に人気のあった女優さんを神田がキャスティングしたことでも動いていた案件であったが、主演女優を神田の独断で強引に深田恭子に変えたことや、その流れで相手役も変更してオーディションとなり土屋アンナを使うことになったのも作品としての勝因の一つであった。

「映画以外の趣味特技」

子供の頃からの仏像好きで、よく上野の美術館に仏像を観に行っていた。そこから絵画にも興味がわき、ルネサンスの3巨人ダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、辺りから1900年代前半のエコール・ド・パリの藤田嗣治辺りまでの西洋絵画については簡単な解説ができるほど詳しい。
人と人を繋げることが本能的に好きで、Facebook下町7区コミュニティ(2022年2月の段階で延べメンバー人数約44,065人)など多くの団体を立ち上げ、そのCEOを務めている。その延長線上で、町おこしにも興味が出て地域の商店街連合会の大きな企画のメインプランナーなども引き受けることが多い。その関係で商工会議所とも繋がりができ、評議員にも任命された。
未来に渡って多くの人の役に立つ様な権利ビジネスの情報も集め、神田の周りの多くの方が生活費の心配なく一生表現を続けられ、経済的にも豊かになることのお手伝いも積極的に進めた。

「今後の展望」

関わった映画作品において世界3大映画祭カンヌ、ヴェネチアでは正式にレッドカーペットを歩き、ベルリンではNETPACアジア最高賞を得ている。
2013年公開、初監督長編映画『TOKYOてやんでぃ〜The story Teller’s Apprentice〜』 (出演:ノゾエ征爾 南沢奈央 三谷昇 真野響子 安達祐実 小松政夫 有坂来瞳 黒田福美 伊藤克信 池田鉄洋 ラサール石井 でんでん 石井正則(アリとキリギリス) 千太郎(西麻布ヒルズ) 中村昌也 平沼紀久 山田清貴 佐藤栞菜 村木藤志郎 里見要次郎 泉堅太郎 金原亭世之介 夕霧(DaizyStripper) 白須慶子 神田実来乃 神田怜音 )では、第5回したまちコメディ映画祭のメイン招待作品オープニング映画として初出しし、レッドカーペットを歩き、ぴあが集計した公開映画初日満足度ランキングでは、数ある大作を抑え、第一位を獲得している。
他、原案・脚本・監督作品の『Reason of Life』では、主演にハリウッド映画『The Matrix Reloaded』のセラフ役で世界的に有名なコリン・チョウ氏を日本に招聘し撮影し、作品はマカオ等中華圏で公開された。因みに、象徴的な少女役で神田の長女の神田実来乃も出演している。

今後残りの人生は、また、このように今まで携わってきた様な世界で喜んでもらえる話題の大作映画を、現代にも存在するであろうルネサンスを金銭面から演出した当時の王様や貴族、大金持ちの様な面白い方々と組んで、映画革命を起こしていきたいと思っている。
当面、あと2本、涙活で演劇を超えたと評判になった朗読劇、オリジナル脚本・演出作品『さとり心霊研究室』と、10年来温めていた戦後の沖縄の復興をテーマとした実在の人物を追った劇映画をアジアを巻き込んで、それぞれ事業費10億円、20億円で撮り、公開することを人生の宿題としている。
それらの作品には、神田独自のナチュラルメソッドを使って表現することを勉強している「神田裕司映画演技実験室」でご一緒している多くの若き俳優たちが参加していることになるはずだと信じている。
また、多くの方を巻き込んで、映画産業で得た権利の知識を活かして権利収入を得る形で、表現者たちや貧困にあえぐ人々が、一生生活費の心配なく希望を持って生きていける生活環境の実現にも力を注いでいきたいと思っている。
条件が許せば、東都よみうり新聞で10年以上続いている掲載漫画『嗚呼!伝統の7高ビジネス交流会』の原作や、映画紹介TV番組『監督神田の映画もミカタ』の構成、MCなども続けたいと思っている。